源了圓『義理と人情』

 

義理と人情―日本的心情の一考察 (1969年) (中公新書)

義理と人情―日本的心情の一考察 (1969年) (中公新書)

 

 

 新書も文庫も、単にその判型だけの意味にしかならなくなって、中身もまた以前とはまるで違う薄さになっちまった。薄いったって「束」のこっちゃない、中身内容もだ。「単行本」「単著」が新書と同義になってるところもあったりするから、もうこれは「本読む老害」としては、にわかに受け入れるわけにはゆかない。

 それなりに功成り名を遂げた「碩学」(これももう言わなくなった)が、その知識見識見聞その他、惜しみなく駆使して、世間一般その他おおぜいの中の活字読む手癖のついちまった界隈に向けて書くのが新書だった時代の新書は、昨今古本屋の店先でもひと山いくら、いや、今や路面店開いて古本屋すら絶滅危惧種だからネット販売の画面でもヘタすら本体1円から、いくらでも拾えるようになっている。そんな中から、かつてまだこちとらケツの青かった頃の記憶を甦らせるかのように、30年もその上も昔の新書を拾い上げては持ち帰る、そんなことも遠くご当地暮らしの隠居の日々、無聊の慰めの一環としている。

 本書も、そんな一冊。広い意味での思想史・文化史ということになるのだろうが、それにしても「ゆるい」印象は今となっては否めない。しかし、だからと言って軽んじていいかというとそうじゃない。こういう「ゆるい」記述でゆったりと語ってゆくような、そんな新書ならではの「教養」の気配というのも、すでに「歴史」の過程に組み込まれつつあるらしいことを十分に思い知りつつ、なお味わってみる値打ちは十分にある。

 副題は「日本的心情の一考察」。いまどきの博士号持ち当たり前な世代の感覚などからすれば、「こんなのただの個人の感想文ですよね」で一蹴されるかも知れない。いや、たぶんされるだろう、いともあっさりと。註も参考文献も、いずれそういう「論文」の正しい形式は初手から踏まれていない、何を根拠にこんな能書きダラダラ並べとるんだろう、こんなのありがたがってたんだから昔の人文系ってほんとお花畑だったんだね、といった「いまどきのボクたち優秀」言説のルーティンが繰り出されるありさまがありありと見えるし聞こえる。何も驚かない。

 「ただの個人の感想文」――そう、だとしても、それが何か? 敢えて、そう言わねばならない、そう思う。昨今のような日本語環境での「人文社会系」のありさまだからこそ、なおのこと。

私は、義理の問題は、最後的には「義理と人情」の問題として構造的に把握すべきだと思っている。このさい「恥の文化」という規定だけでは、義理・人情の問題の解明は不可能である。もともと外的生活規範であった義理すらが、時には心情化されている。まして義理が生活の場で機能するときのすがたである「義理と人情」は心情的側面をぬきにしては理解されない。そしてこのとき、「恥の文化」という『菊と刀』におけるベネディクトの規定のほかに、「情と共感の文化」という規定を加え、「恥と共感の文化」というコンテキストの下に、義理・人情の問題を考察する必要があると思う。

 本書初版刊行は1969年。R・ベネディクトの『菊と刀』の衝撃が、日本語環境での人文社会系にもたらした余波余震の類の深刻さというのを、改めて思う。思って、そして、ああ、この時期にもなお、とも。だって、この「日本」を「文化」という切り口であっさり切り取ってみせる、その手口自体がそれまで見たことのなかったもので、しかもそれが少し前までの敵国あの鬼畜米英の手によるもので、さらに加えてオンナの書いたもので、ともうそれはそれは「敗戦国」としての戦後を思い知らされる上で大きなきっかけになった一冊。それは後に、中根千枝から何から有象無象玉石混淆ひっくるめての「日本文化論」をゾロゾロ戦後の出版市場に流通させることになったのだが、本書もまたそんな流れの中に生まれた仕事のひとつ、と言っていいだろう。堂々の、そういう「日本文化論」ではあるのだ。

 「義理と人情」という成句に近いもの言いに込められてきた、われら日本人のココロの来歴についてしぶとく、しかしどこまでも自分の手の裡に入れたひらたいことばともの言いとでつづってゆきながら考えようとする。決してひとりよがりではなく、読み手の側に共感を促しながら、その読み手たちの裡に共有されていて、そして書き手の自分にも同じものがあるはずの部分を確かめながら、語られるようにつづられてゆくことばの調子。「教養」というもの言いが、こういう人文系の話法と確かに相伴ないながら世に流通していた頃の、まぎれもないすでに「歴史」の一部に織り込まれつつあるらしいありさま。

日本文化の性格については、いろいろの側面からの規定が可能であろう。しかし、多くの規定の仕方の中でも、とりわけこの「情と共感」の文化という規定は最も有力な規定の一つであろう。この日本分かの情的・共感的正確は、日本の風土に由来しよう。自然との関係が社会における人間関係、またそれを支える心情に発展し、そして文化形成の基礎的パターンとなったと考えられる。

義理は個人の傾向性に反した義務とか、道徳的格律とか、社会的責務という性格をもっていない。「傾向性―義務」が西欧社会の内面道徳の軸であるとすれば、「権利―義務」ということはもやはり西欧社会の他の軸、すなわち外的社会規範の軸であろうが、情的でパーソナルな人間関係において成立する「義理―人情」はそれとも異なる。だとすれば、われわれは「義理と人情」を、西欧的な意味での「公―私」とに置きかえる試みを放棄しなければならない。

西欧と日本、この圧倒的な「比較」の軸の盤石さの気配に嘆息する。そしてそれはおそらく、今も基本的に変わっていないはずなのだが、その「変わっていない」こと自体がもうすでに、〈いま・ここ〉の内側からは自覚できなくなっている。

このように義理という生活規範には、好意を与えた人と好意を受けた人とのあいだの人間関係が長期にわたって存続すること、さらに彼らの所属する社会が閉鎖的な共同体であることが、その成立の基本条件である。

1920年生まれ、大正ネイティヴ世代の著者がおそらく自明の前提としてきて、そして高度経済成長期までの生活経験においても、ほぼ自明であったような「日本」のありようがここにある。そして、それはすでにもう「歴史」の相に織り込まれつつある。そんな前提を改めて、〈いま・ここ〉の自明にしておかないことは、これらかつての「人文系」の「教養」を、その可能性と共に「読む」ことはできなくなっているらしい。