平田 寛 『失われた動力文化』

ところがここに、労働と技術を尊重してそれを実践した集団がいた。それは、仕事で手をよごすことをけがらわしいとみなしていた貴族や知識人がつくった修道院である。そこは、禁欲を守り、清貧にあまんじ、熱烈な信仰に燃えた修道士たちの自給自足の場であった(…)知識人たちが進んで労働したということ自体は、かつてなかった出来事であった。そして、たとえば神秘主義のスコラ学者サン・ヴィクトルのフゴ(一〇九六-一一四一)でさえ、人間が完全になるためには自然を手段にすべきだと説き、自由七学科のほかに、機械技術を、布織り、兵器の鍛造、航海、狩猟、医術、演技の七部分に分けている。

 かつての大学、少なくとも文科系には、「学問」といういささかいかめしいもの言いにみあった雰囲気のあるセンセイ、というのが確かにいた。見てくれはただのしょぼくれたオヤジやジイさまだったりするのだが、でも、講義で指定されたテキストを近所の古本屋で拾い、眠くなるのがお約束の退屈な午後の教室はうしろの隅っこあたりでぱらぱらめくっていると、あれま、このオヤジが執筆した本とおぼしき箇所が結構、それなりに尊重されつつ引用されているのを発見して、改めて大教室のはるか向こう、教卓のあちら側で微妙にうごめきながらごそごそしゃべっている、くすんだそのオヤジ物件を眺め直したりしたものだ。

 そういうセンセイは、なにげに新書を書いていたりもした。なにしろ、もっと前なら大学定年の頃に岩波新書を一冊書けば、うまくゆけば家作の一軒も持てるくらいの印税が……と言われていたキラーコンテンツ。時代は違うが、これもひとまずそんな岩波新書の一冊。著者の平田寛という人は早稲田の文学部の教員。西洋史を出て「古代科学技術史」が専門。いまどきのネット環境で少し検索をかけてみても、同姓同名の学者が他の分野で現役オンステージだから、この御仁自体はもう忘れられているのかも知れない。でも、岩波新書の本体のみならず、ジュニア新書でもいくつか地味に定番になっているものを書いていたりする。それくらいには出版社からも信頼された学者だったということだろう。残念ながら講義は聞いたことがない。学部が違ってたし。

 それにしても、「西洋史」という看板自体がもう、「学問」という字面と共になつかしさを喚起するなあ。西洋/東洋、という区分もまた、文科系/理科系と同じくらいに「近代」のニッポンの大学のもの、だったわけで。蒸気機関が発明させる以前の無公害といわれる動力(人力、畜力、水力、風力)とそれらを利用した動力機関(原動機)を中心に、その社会的、文化的な背景や影響を顧慮しながら述べたものである」という「はしがき」の一節からして簡潔にして明瞭。「公害」が社会問題化していった70年代半ばに書かれたものだけに、「読者の方々が、これらの要因や公害の問題に取り組むには何よりもまず歴史的な考察からはじめるべきだという認識を、本書によってすこしでももっていただければ、この上なく幸いである」という言挙げも、時代背景と共に結構しみる。

 当時、科学史、工業史といった分野が、社会的に多少はめざめた、別の言い方をすればこまっちゃくれた文科系学生の間で注目され始めていた。明治このかた、文科系/理科系、の分断状況の弊害は言うまでもないけれども、逆に言えばその分断があったから当時、そんな新たな「発見」を文科系の側からしていったのだし、さらにまたそれが推進力となって「公害」問題から後のエコロジーなどにつながる問題意識の流れができていった、という面もないではない。そうそう、ついでに言えば「身体」とかそっち系への関心も、基本的に同じ流れから派生していたような。自然、環境、科学技術、身体、さらに女性とか弱者とか……社会を経由してもう一度、「自分」の身のまわり、等身大(このもの言いも最近、陳腐化が始まってるが)のところに問題意識を引き寄せる、そんな手さばきが時代の表層に現われてきた頃、だったのだと思う。

 フラップの見返しに記された内容紹介のコピーもまた、そんな当時の岩波新書の編集者の気分が反映されている。

「技術」の語源をたどれば、「芸術」と同意義であり、かつては手工業者と芸術家が同じものだった時代もあった。

 手工業とアートが等価である!――これは当時、ある種の若い衆ならばかなりグッときたはずだ。少なくとも、大学のカリキュラムの中ではそんな並び方はされないわけだし。

 あたし個人としては、確か畜力、牛や馬を利用した動力文化の歴史の概要を知るために買ったものだと記憶するが、こういう「もの」に即した等身大の技術については、当然、民俗でも関心の中心にあったわけで、法政大学出版局がしぶとく出し続けていた「ものと人間の文化史」のシリーズなども含めて、個人的には決して本筋にはならない、なれない領域ではあるものの、でもやっぱり視野に入れておかないことには話にならない、という認識でそれなりに読もうとしていた。個別具体の微細なところから現実の〈リアル〉へ関わらせてゆく腕力、みたいなところが、やっぱり魅力だったし。

 ものを動かす、ためには「力」が必要、それこそがpowerなわけで、でもその圧倒的な力感みたいなものが日本語の広がりでは案外伴わないまま。それは蒸気機関からその他の内燃機関、電気やガス、そして原子力に至るまでも変わっていない。たとえば、御巣鷹山日航機のあのヴォイスレコーダーに記録される「パゥワー! パゥワー!」という響き。あるいは、初期のシムシティ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3 で最初に発電所をどこに建てるか考えるよう指示された時の、あの感覚。現実を成り立たせて動かしているのはどのような意味でのそんな「力」=powerである、という認識を持たないことには、それこそ「権力」(ああ、これもpowerの訳語だったな)に至るまで〈リアル〉になることはないんだろうなあ、ということは、この小さな新書を初めてめくった時から漠然と、心の中にわだかまっていたような気がする。

■初版 1976年 岩波新書

失われた動力文化 (1976年) (岩波新書)

失われた動力文化 (1976年) (岩波新書)