たま『さんだる』

川の中をオレンジでおなかをふくらませた

女たちがぷかぷか流れてる

ヘビー級のチャンピオンがそれを見つけては

サンドバッグがわりに殴ってる

 80年代的なるもの、というのがあるとして、それは音楽やマンガに最も濃縮されて、ということは誰の目や耳にもわかりやすく、反映されていたのかも知れない。いまさらながら、だけれども。

 もう少しひっくくったもの言いをすれば、例の「サブカルチュア」ということにもなる。でも、それじゃあまりに陳腐なので、そうだな、敢えて「日常」と言い換えようか。え、日常? そう、それくらい大風呂敷でもいいのだ。日常そのものがサブカルチュアの側からゆっくりと覆われてゆく、そんな過程がひとつの臨界点に達した、それが80年代初頭のニッポンの、高度経済成長の「豊かさ」のその後、の風景だったし、何より、それくらいの認識の大転換をひとつしてみないことには、〈いま・ここ〉で起こっているさまざまなグダグダ、われらが暮らしや人生のありようのずいぶん続いているこの何とも言えぬ不透明さってやつは、ことばでとらまえることができないと思うからだ。

 で、たま、である。たま、は多くの場合、あの『イカ天』と共に記憶されているはずだ。ミュージシャンとしては、もう「あの人はいま」状態なのかも知れない。サイトを見ると、2003年11月で解散、とある。http://www.officek.jp/tama/ 四人だったはずが、三人しかクレジットされてないところを見ると、途中で何かあったのだろう。そのへんの詳細についても、きっと詳しい連中が山ほどいるんだろうから、ここでは詮索しない。

 あの、大ヒットした「さよなら人類」の衝撃は、さて、〈いま・ここ〉から改めてどう語ったらいいのか。まずそのへんだ。浅羽通明が「オゾンのダンス」をカラオケで熱唱していた(彼が稀代のオンチであることを念頭に置いて考えられたし)り、当時、少なくともサブカルで主体化してしまった「おたく」第一世代にとって、たま、は確かに福音だった。

 そのへんのことは、すでに語られているのだろうし、あの竹中労を勘違いさせてくらいだからもう証明済み。ここで触れておきたいのは、たま、のプレゼンスにこの初発の時点から、「おんなぎらい」の気配がすでに出ていること、これだ。

 「おんなぎらい」――いまでこそ、ようやく三十代から下あたりの世代のニッポンの若い衆にはっきり見てとれるようになった、その症状が先行的に出ていた。

 性的存在としての自分、がまずもってうとましい、そんな感覚。それは、たとえばモダンチョキチョキズならば、「ぼくらの恋は養殖されて/色もなければ味もない」と歌ったような気分でもある。あれは確か、「海の生物」だっけか。流れにさからうことなく漂ってゆれるばかり、というこの認識は、ニヒリズムというほど輪郭確かなものでもなく、穏やかな風景としての終末感覚、というようなものだ。「デカい一発」、への待望。それはまた、さねよしいさこ、や、谷山浩子など当時の同時代の「サブカル」寄りの表現の中に、決して顕示的にではなく、本当に同時代の空気の中でだけ察知されるようなありようで確かに仕込まれていた、そんなものだ。

 デタッチメントの遍在。それは外界に対する距離だけでなく、自分の内面、少なくとも身体と密接にからんだ心理の領域に対しても客観視してしまうことも含んでいたらしい。

 テレビの画面に映し出された動く、たま、を見たときも、ああ、こいつら、オンナのコと一緒にいても、どこかでぞっとするほど「ココロのない」感じ、を察知させてたりするんだろうなあ、と感じた。それは、自分の中の「オバサン」の部分、で反応していたようなもので、何より、そんな部分を抱え込んでいるということ自体、この「おんなぎらい」の資質にあてはまっていることに他ならないのだけれども、でも敢えてまた言えば、当時すでに「共感」というやつもまた、そのように微妙にめんどくさく、でしか、同時代の中で宿れないようになっていたらしい。

 歌詞から意味を剥奪してゆくことは、たとえば桑田佳祐サザンオールスターズがやってのけたことだったし、爆風スランプにせよ何にせよ、当時の気分としてひとつ確実にあった。意味を速度で、生身で絞り出す速度によってひきちぎってゆこうとする、それは50年代のアメリカならばロックンロールという形に結晶したかも知れないような、身体のありようの切実さを時代の状況の中で回復しようとする、無意識の領域も含めた試み、ではあったと思う。

 個人的な記憶をひとつ。早稲田の大隈裏の芝居小屋で、生ギター一本で芝居に音楽をつけていたオトコが、突然そんな歌をつくりだした。曲想自体はきれいなもので、そういう才能のない自分でさえも、いい曲だな、と感じるようなシンプルなものだったけれども、そこに乗せられた歌詞の全くの意味のなさ、が、逆にそのメロディ自体に宿る何ものか、をきわだたせるような効果があった。「ウニの一生」と題されたその奇妙な曲は、おそらく今でも覚えている者が結構いるはずだ。

 空虚であること、意味からひきはがされてあることが、かえってある種の意味づけを容易に受け入れられる条件になり得ること。自らもまたそのように意味から遠く、意味の縛りから逃れようとする構えを見せることで、まわりの想いをいっぱいに吸い込んでふくれあがることもできる、というある種の確信。

 「アイドル」というのも、実はそんな存在だったのだと思う。意味から逃れる方向性が、たま、などとは全く逆のベクトルで、つまり「定型」の意味づけを迷うことなく一直線にやってのける身振りによって、ということだけれども、「ベタ」であること、「お約束」通りのありようを示すこと、が、予期せぬ同時代の無意識を吸着させてゆく媒体になってゆく。

 こども、童心、遊び、自由……ランダムに想起される単語やもの言いを羅列してみても、それらの関連性自体、リニアーなものではない。言わば絵画的な、詩的な文脈でそれらの要素が関連づけられることが約束されている。竹中労があのように激しく反応してしまったのも、大正アナキズム出自のそんな「アート」気分、もう少していねいに言えば絵画や詩との関係がまだしっかりあり得たような段階でのそれと、共鳴してしまったからだと思う。

 「さよなら人類」に漂う「おんな」の無機質さ、が実はじわっ、と効いてきた。「あの子」という言い方で指し示されるそれは、冒頭から二酸化炭素を吐き出して、あの子が呼吸をしているよ/曇天模様の空の下、つぼみのように揺れながら」と表現されるような、モティーフとしても主要なものだけれども、言うまでもなく植物的な、すでに身体性を奪われたところで想定されている。植物、鉱物、天体……生きものとして、ニンゲンとしてよりもむしろ、そんな有機物と無機物のあわいに位置するような微妙な立ち位置と、そんな自分という感覚。そして、最後に砕け散った「あの子」の「かけら」は「見つからない」まま。なのに、そのことに対して浪漫的に詠嘆したりという気配は、ひとまず薄い。ただ、穏やかに微笑して傍観しているだけ、そんな感じなのだ。

 その後の、たま、というやつを、聞き書きしてみたい、と思う。彼らが「失われた十年」を経由して、〈いま・ここ〉をどのように眺め、生きているのか。それはあの竹中労の“善き勘違い”に対する遅ればせながらの応答、にもなるはずだからだ。 

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さんだる

さんだる