堀切直人『浅草』

 自分だけの大事な書き手、というのが、いる。
 
 誰もが知っているのではない。言及されているわけでもない。いや、どうかするとほとんどその名を知られていない、どうかするとすでに遠い時間の彼方に埋もれていたり、いま、この時代を生きているのかも忘れられていたりする、そんな存在だったりする。

 けれども、手もとにある本の一冊、古本屋の店先でたまたま手にとって、ここにやってきたものをめくっているうちに、あ、こりゃ縁ある御仁だ、と気づいてそのまま何度も何度も、子どもがあめ玉をしゃぶるように読み返しめくり直している。世間一般その他おおぜい的にはほとんどもう忘れられてるに等しい、けれども自分ひとりにとっては繰り返し「読む」ことでいつも新たに再会し直し続けることのできる、そういう書き手が何人か、いる。

 壮大な伽藍のような理論抽象体系のつくりもの、を賞翫する人がたがいる。文章はつくりもの、だから職人の手わざで丹精込めてこさえられるもの、という信心の共同体。細心鏤骨、なんて言い方もあった。泉鏡花などから幻想文学、耽美猟奇な方向へと興味関心開いてゆくそれらある種の、いや本読みとしてはそちらが正道なのかも知れないけれども、いずれそれらのお耽美系読み手の群れが讃仰するような活字/文字の世間に対しては、いつも距離を持って眺めてきた。そっちにゃ行けない、そういう「自分」は間違いなくあった。

 活字読みの偏屈、というのが露わな書き手というのは、それ自体そんなに珍しくもない。けれども、その偏屈にも風土というか、背景の違いというのもあって、どうも関西系、特に京都由来のそれはあまり相性がよろしくない。独特のエリート意識みたいなものが鼻につくのだ。一方、江戸前のそれら偏屈というのもあって、そっちもそっちで面倒くさいのは確かではあれ、でも、やっぱり肌合いがあうのだ。晩年の平岡正明もそんな体臭をまつわらせるようになっていたし、出身は異なれど山口昌男にしたところで分類すればそっちになる。このへん、自分自身の出自など考え合わせても分裂してると思うのだが、こういう感覚と趣味だけはどうしようもない。

 けれども、そういう「そっち」から、紙を介した知己というのは現われてくる。それもそれなりに確実に。彼らの生きる世間とはついぞ親しくつきあうことはできないままだったのに、彼らの中から導き出されてくるものについては確かに親しみを感じることが少なくなかった。距離置いて眺めてきたからこその邂逅の仕方。

 堀切直人もそんな知己のひとり、である。

 と言って、全くの見ず知らずというわけでもない。以前、まだ血気盛んだった頃にこさえていた手作り不定期のニューズレター、当時だとミニコミとかそういう類で理解されていたと思うが、それを縁あって眼にしてくれたらしく、何かの折りに文章で紹介してくれたことがあった。いや、それすらも間に浅羽通明以下、早稲田の幻想文学界隈の人脈があったからこそだったと思うのだが、それでも一度か二度、何かの集まりでお会いしたことはあるはずだ、というのは、何冊か献呈本が手もとにあるからだ。つまり、著書を送ってもらったことはあるんだけれども、それをきっかけに私信や年賀状のやりとりなどがあったという記憶はない。これはこちとらがずぼらでそういう世間並みの冠婚葬祭の類が苦手だから、という言い訳をまたしてもしなければならないのだが、それにしても当方、幻想文学やファンタジーに嗜みがとんと薄いままなのだが、そっちに趣味のある偏屈の書き手には案外なじめたりするらしいのも、これまた自分ながら不思議ではある。*1

 文芸批評が本芸の人、ということでいいのかも知れない、出版業界的には。とは言え、守備範囲がいわゆる近代文学の正統とされてきたようなあたりとは少し違ってて、またその違い方というのも対象となる作家や作品、時代などがでなく、明らかにそれらの素材を取り上げ、「読む」その角度が違うという感じ。いや、むしろその「読む」のありよう自体が本体であるような批評なのだ。客観的に、とか、合理的説得力が、とかそういうのではなく、その「読む」そのものがある種の批評性と抜き難く結びついていて、その「読む」過程を共に旅してゆくみたいなつきあい方を親しくしてくるような。

 どちらにしても、そういう書き手はその書いた仕事の中身ではなく、書き手自身に対する信頼感と共に、読み手もまた選ぶ宿命にある。それまでに書いてきた彼の仕事、『迷子論』『大正流亡』『大正幻滅』『読書の死と誕生』『喜劇の誕生』などなど、知る人ぞ知るという程度の間尺でしか知られてなかったことは、たとえば個人的には渡辺京二などとも通じる「おりる」を実装してしまった知性の宿命のようにも感じる。

 この「浅草」のシリーズは、中でもおそらく白眉。自前で自腹で地元の図書館の類に日々通って出会ったさまざまな個別具体がこれでもかとばかりに贅沢に、でも淡々と、どのページにもまんべんなく同じ調子で紙面にちりばめられている。「効率的」に「合理的」に「業績」をアウトプットするための速度では全くない。淡々と日々のなりわいのように通った結果のことが、字ヅラからたちのぼってくる気配でわかる。しかも、自身言っているようにワープロやパソコンの類は使えない、手書きのメモやノートでの道行き。丹精とか、粒々辛苦とか、そういうもの言いにさえどこかそぐわないような、身についてしまった「おりる」の作法ならではの「そういうもの」としての凄みなのだ。*2

 求めに応じて書く、注文があってそれに合せて仕事をする、そんな職業的書き手に通常想定されるような過程で生まれる仕事ではない。あてもなく、ただ自分の求めに応じて自分が書く、それ自体が自分の存在証明であるような、そういう日々の作業の積み重ねの上にようやく姿を現わすことのできた、でも改めて気づけばかなりとんでもないもの。無償と無欲と、それらを支える世間的には無為の時間とが、いずれ幸せな邂逅の仕方をしたからこそあり得たような文字の集積。自分的にはここ数年ほどずっとこだわっているような意味での「おりる」ことの凄みを体現したテキストのひとつではあるのだけれども、でも、そんなことはとりあえずどうでもいい。

 「文学」がこうまで干涸らびてしまい、そしてそれらを語る「批評」や「評論」の類もまた同じく生体反応をなくしてしまって久しい現在、でもそれは「読む」のやり方によって、方法的に関わることのできる主体が「読む」ことによって、全く異なる様相をうっかり見せ始めてくれることの証明。渡辺京二の『逝きし世の面影』が同じようにうっかり示していたような、方法的な「おりる」が「読む」主体に実装されてしまったことで露わになったテキストの可能性の豊穣さ。すでに歴史的な過去として存在するしかなくなって久しい「作品」たちが、このように全く異なる内実を〈いま・ここ〉にあらわにしてしまうことに瞠目しつつ、また自らの作業としてそれを自分のものにしてゆくことをあらためて志せる、そんな糸口になってくれる仕事である。

 
 


 

 

*1:児童文学あたりにまで広げてみてもいいかも知れない。ああ、そういう意味では高橋康夫や山中恒もそうだ。

*2:近い系譜としては、今だとたとえば、萩原魚雷あたりになるのかも知れない。そう言えば彼も、まだほんとにあんちゃんの時代、二部の大学中退だかで食い詰めていた時に縁あって知り合い、某新聞社にバイト的に紹介したことがあったっけ。数年前、まだ同じ職場にいるというので、そこの中の人と共に久方ぶりに邂逅したのだけれども、たたずまいは相変わらず、年齢を重ねた分だけ風体はおっさんになっていて、かつての細身で中性的な中原中也めいた面影はほとんどなくなっていたけれども、その場の存在の仕方、いたたまれなさみたいなものは同じだった。